日本語の契約書について、
「なぜ、そこにこだわるのか?」と、
疑問に感じる変更案に頻繁に遭遇します。
全角の数字を半角にしてきたり、
「売主」と「買主」を「甲」と「乙」にしてきたり、
趣味の違いとしか思えない助詞や句読点を変更してきたり。
日本語として意味が変わらず、
明確になるわけでもないのなら、
わざわざ変更する必要はないのでは?
と、その度に思います。
しかし、
我が身を振り返って考えてみると、
私は日本語の契約書については、
上記のスタンスで臨みますが、
英語の契約書については、
表現的にも文法的にも、
できるだけ正確で明確な文章に変更したいという、
希望というか衝動に駆られます。
この違いの理由を考えてみると、
私の英語に対する自信のなさだと思います。
母国語である日本語なら、
「意味が変わらない」という自分の判断に確信を持って対応できるのに対して、
外国語である英語だと、
本当に「意味が変わらない」のか?と不安を感じるのです。
そう考えると、
日本人であるにも関わらず、
日本語の契約書について、
私が「意味は変わらないのに」と感じる変更をしてくる人は、
実は自身の日本語の理解力に確信を持てない・持たないように注意している、
誠実または慎重な人なのかもしれません。
単純に融通が利かない人という可能性の方が、
はるかに高いでしょうが。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。