2017年10月2日月曜日

『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(西牟田靖・著)

前作『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社 (2015/3/5))の最後で、
子供が生まれた後も変わらない、
そもそも変わる必要性を感じなかったために、
3歳の娘と別れる形で離婚せざるをえなかった著者が、
離婚後に子供に会えなくなった父親たちをインタビューして作ったのが、
この『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所 (2017/1/19))です。
ちなみに、著者本人は離婚後も娘に会えているそうです。

『子どもの連れ去り問題-日本の司法が親子を引き裂く』 (コリンP.A.ジョーンズ・著)でも詳しく取り上げられていますが、
(世界水準では総合的に良い方だとは思いますが)
日本の司法制度の欠陥、
より根本的には、
日本の社会制度として、
(子供は勝手に育つと思っているのか)
親子関係、特に子供の成長をあまり重視せず、
家族に丸投げしていることの弊害が、
浮き彫りにされている本だと思います。


父親の視点のみで一方的だという批判は、
Amazonの書評にも散見されますが、
それを踏まえた上で本書が指摘したかったのは、
日本の社会全体として、
基本的に親子関係・家族関係は「母親」さえいれば成立する、
という誤った信念・価値観だと思います。


4歳の娘がいる私にとって他人事ではありませんが、
幸いにも、
妻が親子関係には「父親」が絶対的に必要であり、
それは夫婦関係とは無関係であるという信念の持ち主ですので、
たとえ離婚したとしても、娘と会えなくなることは心配していませんし、
仮に、外国に移住するなどの理由で、娘と(ほとんど)会えなくなったとしても、
しっかりと育ててもらえる、育つことができる、という信頼を、
妻と娘に対して持っています。


しかし、
本書で取り上げられているような、
(母親側の視点/インタビューが欠けているという批判はあるとして)
DV冤罪で不当拘留までさせるような母親に対しては、
とてもそのような信頼は持てないでしょうし、
制度的に、
そのような母親に子供を委ねざるを得ない父親は、
気が狂いそうな思いになるでしょう。


この問題の裏返しとして、
養育費不払い問題もありますので、
社会制度的に、
この問題の対策に本腰を入れて欲しいと思います。


ちなみに本書は、
2013年12月23日に、
私の自宅近くの区立小学校で起きた、
父親による焼身無理心中という、
衝撃的な事件についての記述から始まっています。


子供を一人の人間として見ることができず、
誰かの所有物のように感じてしまう感覚も、
この問題の根底にあると思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。